なぜ上から目線なの?!(心理編)


『なぜ上から目線なの?!(心理編)』をお送りします。 



昨日は実に鼻持ちならない、上から目線の人の特徴を考えて見ましたが、何故か常に今日は、『なぜ上から目線なの?!(心理編)』をお送りします。 昨日は実に鼻持ちならない、上から目線の人の特徴を考えて見ましたが、何故か常に虚勢を張って偉そうな態度をし続けているのには、良く考えて見れば何らかの理由があって然るべきとも思えます。 


とにかく自分が一番で自分が正しいと言う本音、心の底からそう思い自信満々な態度がごく普通に且つ信じられないほど自然に強い物言いとなって口から出て来るのです。相手を威圧し、自分を誇示し、従わせようとする行動は相手にとっては不快きわまりないものだとしても、それを客観視できない上から目線の類の人は自分の思い通り、気の向くままにしたい放題に振舞い、高いプライドを満足させて保ち続けることが出来ているのだと思います。 


客観的に自分を評価したり、相手の意見を踏まえての発言をしたりすることは、たぶん上から目線の人の辞書には書かれていないのでしょう。そんな奇特ではなく奇妙な人種とも言える存在が常に他人を不快にさせ続けても、我を張って自分の主張・意見をどこまでも通そうとするには、いったいどんな理由があるのでしょうか?。客観的に納得できる様な心理に辿り着けるものなのでしょうか?。今日はその心の奥に潜む心理状態を垣間見て行きたいと思います。 



<我が強くて我が儘な心理状態> 


何でも「私が」「自分が」と前にしゃしゃり出てきて、考えや思いを妥協も協調もせず、そのまま通そうとします。それが正しいと信じて疑わないからだと思います。自分の非を気付かず、認めることもありませんので、謝罪することは多分ありません。 


会話が噛み合わずいつの間にか討論になり、例え途中で自分の間違いに気付いたとしても、言い方を変えたり、屁理屈をこねてまでも、意地を張って謝ることはありません。そのうち、周囲から自分の間違いを徹底して指摘されて、身の置き所が無くなっても「すいません」「ごめんなさい」「間違ってました」とは口が裂けても言わないでしょう。 


どうしても責任を取らざるを得なくなった時には、かろうじて頭を下げたとしても表面的で心がこもっておらず、ふてくされた態度で好感が持てる感じからは程遠いと思います。単に「気が強い」とか「芯が強い」と言うのとは違うので、近くで関わらなければならない場合は、かなり厄介な存在だと思います。 



<自分が常に他人より比較優位と思い込む> 


上から目線の人には総じて二つのパターンがあると思います。一つは根っからの上から目線の人、もう一つは相手によって上から目線になる人です。何れにしても経験則として自分が一番偉い、唯一正しい存在、他人と比較して優れた人物だと信じ切っていて、実は自分の客観的な能力や力量を理解していないだけの‟可哀そうな存在”だとは思います。 


ただ、前者はただの幼稚な世間知らず、昔から「井の中の蛙大海を知らず」と揶揄される様に自分が見えている世界が全てで、多様な物の見方考え方にも価値があることを知らず、見識が狭い人であるのに対し、後者は成長の過程で他人からの様々な刺激を受けた影響で、ただ我が儘に泣き叫ぶだけでは周囲との軋轢を生むだけだし、何も主張せず我慢しているだけでは集団に埋没して淘汰されてしまうことを学習したのだと思います。 


その結果、目の前の相手が自分にとってどんな存在か、自我を通せるか否か、自分の気持ちを押し通すことが困難か否かを考えた上で上から目線にするか、従順な態度を取るのかを選んでポジショニングする様になったのです。しかし、本心から他人の意見を受け入れようとはしませんので、比較優位と思い込む独りよがりの性格であることに変わりはありません。 



<自分大好きで存在価値を疑わない> 


日本人は特に自己肯定感が弱い人種だと言われることも多いので、自信満々で自分大好きな特徴を持つ上から目線の人は、自己肯定感が強いと言う意味では外国人並みと言えるのかも知れません。ただし、集団での協調性を重んじる日本人社会では男女関係なく周囲から嫌われやすいのだと思います。 


上から目線の人は自分が尊重され一目置かれる存在であることを自認していて、そう扱われることを当然だと意識していますので、扱いにくくて面倒臭い相手と思われてしまうのです。自己肯定感の強さは自己顕示欲の強さにも繋がります。自分の確固とした存在価値を疑いませんので、それを知らしめよう、認めさせようとして、自慢話ばかりをしたり、頼まれもしないのに人に自分目線のアドバイスをしたがる傾向にあります。それが正に上から目線な人だと思われてしまうのです。 


本当の自己肯定感とは完璧な存在など居ないと知った上で、他人から劣っている部分があっても、ありのままの自分を受け入れて掛け替えのない存在だと思うことができる感覚を備えていることだと思いますが、上から目線の人は残念ながらそこに気付くことは難しいのです。 



<思ったままを直接言葉に出さずには居られない> 


子供が親に玩具をねだって‟駄々を捏ねる”シーンを見かけますが、上から目線の人の頑固な性格は正に子供の様な幼稚性を感じるところがあります。みんなで意見を出し合ってより良い方法を模索する経験則を持ち合わせません。他人の考えや折衷案に落ち着かせることは人間関係は保たれるかも知れませんが、所詮、最大公約数的、総花的で妥協の産物でしかなくなる場合も多く、独創的な進化は生まれません。 


最近は、空気を読むことが周囲との協調性ありなしの条件として重要視される傾向にあり、何の進歩も感じられないその集団的な相互依存関係に、個人的には些か息苦しく感じるところもあり、できるだけオリジナリティを大切にしたいと願っている一人で居るつもりですが、上から目線の人の特徴で唯一のプラス個性として評価できる所があるとすれば、自分の思った事や頭に浮かんだことを、妙に空気を読むことなくそのまま意見を述べられる所かも知れません。 


自分の意見に自信満々なので、人と違った意見だとしても、躊躇することはないのです。時にはそれが原因で軋轢を生むことになることもあるでしょうが、周囲の意見にいつも同調して‟右へ倣え”してしまう、ある意味よどんだ集団心理から一歩抜け出すには、貴重な存在とも言えるのではないでしょうか?。ただし、この上から目線の人のオリジナリティを活かすには、その勝手な言い分に耳を傾けてくれる、ストレスに強い良き理解者が最低でも一人は必要だとは思います。 



<まとめ> 


上から目線の人が厄介な存在であることは、多くの人が意識していることではありますが、先ほどの「井の中の蛙大海を知らず」は、ご存知の通り荘子の教えですが、これが日本に伝わってから付け加えられたとされる続きがあります。それは、「されど空の蒼さを知る」或いは「されど天の高きを知る」そして「されど地の深さを知る」や「ただ天の広さを知る」などが言われています。 


これらは総じて、井戸の中の世界に長く生きたからこそ見えて来る真理があるのだとの意味ですが、正に周囲の空気を気にせず自分が正しいと信じた考えをアピールする人は、例え上から目線の物言いに終始したとしても、決して疎ましいだけではなく、何かしらの説得力を持つ場合があるのかも知れません。人間関係は一様ではなく多様性を受け入れるベースが必要なのだと思います。男女の関係も一度や二度会っただけでは、お相手の本質や意外な価値に気付くことは難しい気がいたします。多様性を認め、出会いの間口をできるだけ広げておくことが肝要だと思います。 


今日も良い一日であります様に。 


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