結婚の形態とは?(その12)


今回は「結婚の形態とは?(その12)」と称して、このところの総括と、戦後の高度成長期からバブル崩壊を経て平成に至る変遷を追ってみたいと思います。 


<職業仲人> 

鎌倉時代の「妻問婚(つまどいこん)」に於ける「仲人(なかだち)=「媒(なかだち)」は既に職業仲人として存在しており、「嫁入婚(よめいりこん)」が定着した江戸時代には、婚姻の段取りを全て取り仕切り、両家の身分・懐具合・仕事内容、などが釣り合うかどうかを考えて「縁談話(えんだんばなし)」を進め、更に婚礼の立会人も務めたことから、別名「橋渡し(はしわたし)」などと呼ばれました。かつては「仲人と言えば親も同然」と言われ、嫁と婿の当人同士だけでなく「両家の間を取り持つ」と言う重要な役割があったとされています。場合によっては夫婦喧嘩の仲裁までやると言う具合で、婚姻後も人生の後見人役として夫婦の支えとなっていたのです。 


<結婚式の変遷>  

明治時代には自宅で祝言(しゅうげん)を挙げていましたが、欧米文化の影響により、キリスト教による教会式、神道による神前式、仏教による仏前式、それぞれのスタイルで結婚式が行われる様になりました。大正時代になると神前式でシンプルに式を挙げ、宴会を料理屋やホテルでやるようになり、新婚旅行も一般的に行われる様になったのです。大正12年の関東大震災以降はホテル内に神社の御祭神を祀る様になり宴会=披露宴をするのが広まって行きました。昭和に入ると本格的な神殿を設置し、美容、写真、衣裳などの施設を整えた総合結婚式場が生まれる様になりますが、1940年(昭和15年)北支事変(支那事変)以降太平洋戦争の終結までは、昨日お話しした様に極端に質素で簡素な婚礼が自宅で行われたのです。戦後GHQ占領下での様子は昨日お話しした通りで、やがて占領時代の終了とともに、農村部では「自宅婚」、都市部では公共施設や料亭・旅館などでの「祝言(しゅうげん)」を挙げる様になってきます。 


<高度成長期の結婚式>  

1955年(昭和30年)を境に婚姻数が急増します。1959年(昭和34年)に皇居賢所で皇太子明仁親王(25)と正田美智子さん(24)の大婚の式(たいこんのしき)がとり行われ、賢所(かしこどころ)での式の模様とご夫妻を乗せた6頭立て馬車を中心としたパレードはテレビで実況中継され、「テニスコートの恋」がここで「ロイヤルウェディング」として実を結び、翌年行われた俳優の石原裕次郎・北原三枝夫妻の豪華披露宴とともに、当時の若い男女を感動させ一大結婚ブームとなりました。更に1963年(昭和38年)には翌年に開催された東京オリンピックへ向けたホテルの建設ラッシュが続き、日本が景気上昇を続ける中で、ホテルでの神前結婚式+披露宴と言うスタイルが普及し、且つ徐々に豪華な内容になって行きました。芸能人の派手な結婚式は豪華披露宴に拍車をかけて行きます。ちなみに1971年(昭和46年)の橋幸夫・凡子(なみこ)夫妻は招待客1000人で総額5000万円、新婚旅行はハワイ・ロス・アカプルコでした。1980年(昭和55年)の三浦友和・百恵夫妻は招待客1800人で総額(推定)2億円、新婚旅行はハワイ。1985年(昭和60年)の神田正輝・松田聖子夫妻は招待客500人で総額(推定)2億円、新婚旅行はハワイ。1987年(昭和62年)の郷ひろみ・二谷友里恵夫妻は招待客1000人で総額(推定3.5億円)、新婚旅行は確かオーストラリアでした。 


<庶民の結婚式>  

一方で、庶民の結婚式も徐々に豪華になって行きました。1960年代東京では神前結婚が主流でお色直しは無し、仲人は見合いの場合は「引き合わせ仲人」、恋愛の場合は会社の上司などの「頼まれ仲人」、男性側が仲人への謝礼を支払いました。新婚旅行は熱海・箱根・伊豆が定番でした。特徴は男性側が全ての段取りをして女性側は従う形だった様です。1970年代から80年代東京では恋愛結婚それも職場結婚が多くなります。衣装はウエディングドレスが定番となります。披露宴の演出も凝ったものが増え、「お二人の初めての共同作業のケーキ入刀です!」と言うプロ司会者のオーバー気味の演出が今でも耳に残っています。確かディズニーランドのエレクトリカルパレードの音楽と共にスモークを炊きながらゴンドラで降りてくる派手な演出もこの頃に流行ったと記憶しています。勿論、お色直しも2回は当たり前でした。1990年代にバブルが弾けると、途端に「派手婚」は影を潜め、披露宴の演出で残ったのはキャンドルサービスとケーキ入刀くらいでした。新郎新婦の成長の記録と出会いから結婚に至るエピソード映像はこの頃から徐々に増えて行きましたし、今でも定番の演出になっていると思います。2000年以降は挙式・披露宴が本当に多様化し、軽井沢や海外での挙式・立食パーティーやレストランを貸し切ってのパーティーへ何度出席したか覚えていません。一方で身内だけの料亭会食や「地味婚」の最たるものとして、写真に納まるだけの「フォトウェディング」など、シンプルなスタイルも増えてきました。そして、1960年代と大きく違うのは結婚式と披露宴の演出は新婦が取り仕切る様になったことだと思います。この先、結婚式の形態がどう変化して行くのか、大いに楽しみです。今日は、この辺で失礼します。

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