晩婚化・非婚化(その1)

相談所も色々、会員も色々、仲人も色々です…。日々の活動を通して、“心に移りゆくよしなし事” を気の向くままに(気が向いたときに...)少しづつお話しして見たいと思います。 


今日は、『晩婚化・非婚化(その1)』をお送りします。 


 皆さんは「1.57ショック」と言うのを聞いたことがあるでしょうか…。2018年6月8日の日経新聞夕刊に、次の様な記事が掲載されていました。 


『1990年6月9日、厚生省(当時)が発表した統計に世は騒然となった。ひとりの女性が生涯に産む子どもの数の理論値(合計特殊出生率)が89年は1.57に落ち込み、戦後最低を更新したのだ。「丙午(ひのえうま)」の迷信で出産を避ける人が続出し、「異常値」とみなされてきた66年の1.58を下回った衝撃は大きく、国や自治体に対策を急ぐよう求める声が高まった。』 


この「丙午」の迷信とは、「丙午」つまり干支(えと)の43番目を指しますが、この年は火災が多く、また、この年に生まれた女性は気が強く、江戸初期の八百屋お七の放火事件以後,「丙午」の年に生まれた女は,夫を食うとか殺すという迷信が生まれ,現在に至るまで統計的にも「丙午」の年には出産数が少ない。と言うものです。 


ちなみに、この放火事件ですが、1666年「丙午」生まれの八百屋お七という女性が「火災が起これば愛しい彼に会える」という激しい恋心を抱き、江戸の町に放火した事件が起こり、「丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める・夫を食い殺す」という迷信ができたと言われています。ここで本題からは逸れてしまいますが、「お七火事」をご紹介しましょう。  


天和元(1681)年2月の大火で焼け出された八百屋太郎兵衛一家は、駒込の円乗寺前に仮小屋を建て、しばらく住んでいました。そのうちに、娘お七は、寺小姓の左兵衛と人目を忍ぶ仲になっていましたが、皮肉にも太郎兵衛の新居が元の場所にできたので、門前の仮住いを引き払わなければならなくなりました。その後のお七の胸の内は、いまさらいうまでもありません、そこに現れたのが、ならず者の吉三郎で、彼はお七の耳にささやきました。「それほどお小姓が恋しいのなら、もう一度、家が火事になれば円乗寺に行ってられるぜ。」  


恋は盲目のたとえどおり、お七は前後の見境もつかなくなり、明けて間もない1月のある日、自分の家に火をつけ、円乗寺へと駆け出したのです。  


この放火が、江戸の中心部を総なめにする大火の元となったという説もありますが、実際は近所の人がすぐに消し止め、ボヤで済んだというのが真実のようです。しかし、当時は「失火者斬罪令」(延宝6年)があった時代です。ましてや放火犯人は引回しの上、死罪とされていましたので、お七は天和3(1683)年3月29日、鈴ヶ森で火焙りの刑に処せられたのです。  


この時、お七は17歳でした。ならず者の吉三郎は、お七をそそのかし、火事場泥棒を決め込んでいたところを捕えられ、教唆犯としてお七と同じ刑に処せられたのです。  


一方、お七の恋の相手の左兵衛は、このことを知って自害をしようとしましたが果たせず、以後は剃髪して高野山や比叡山を巡り修行につとめ、やがて目黒に戻って西運堂を建立し、名も西運と改めて一代の名僧とまでなりました。入寂したときは、70歳を越えていたと言われています。(出典:東京消防庁「消防雑学辞典」より)


江戸時代、火災は町を焼き尽くす恐ろしいものでした。放火事件と、その原因がお七の激しい恋心ということが結びつき、「丙午」の女性に対する恐怖へと結びついたと考えられているのです。この顛末は井原西鶴によって「好色五人女」の中に書かれていることは有名ですので、ご興味のある方は作品に触れて見るのも良いかも知れません。 


そして「丙午」は60年に一度のタイミングで訪れます。実際に過去の出生率を見てみますと、昭和40年(1965年)の出生率は2.14で、昭和41年(1966年)の出生率は1.58で、その翌年の昭和42年(1967年)の出生率は2.23だったのです。これは昭和41年が「丙午」だったことから、出生率が低くなったと言われています。 


更に明治へ遡ってみますと、明治39年(1906年)の「丙午」は、前年(明治38年)より出生率が4%減少したそうです。実際に、明治39年生まれの女性が結婚適齢期になると、縁談が破談になって自殺した女性の報道などが相次ぎ、「丙午」の迷信が大きく影響したと言われています。 


その影響もあり、昭和41年(1966年)の「丙午」は、前年(昭和40年)より出生率が25%も減少してしまったのです。明治39年に比べると減少率が大きいのは、マスコミが丙午の迷信を報道したことが影響し、もしも女の子が生まれたら…と考えた夫婦が子供をもうけるのを避けたり、妊娠中絶を行ったりしたことが原因とされています。 


次の「丙午」は2026年になります。1966年生まれの女性は今年で53歳です。きっと、「丙午」の迷信のように夫の命を縮めたり、食い殺したりすることなく、幸せな日々を送っていると思います。八百屋お七の放火事件も、本当にお七が八百屋だったのか、「丙午」生まれだったのか、恋心から放火してしまったのか、明確な資料はなにも残っていませんし、「丙午」生まれの女性は気性が荒いということの科学的根拠は何もありません。「丙午」は、あくまで迷信だということです。 


しかし、その後の出生率の減少はどうなったかと言えば、66年の「丙午」の出生率である1.58を下回った「1.57ショック」以降、翌年の昭和42年(1967年)の出生率こそ2.23まで回復しましたが、またじりじりと下がり続け、2005年(平成17年)には1.26となってしまいました。厚生労働省が発表した人口動態統計によれば、1人の女性が生涯に産む子どもの数にあたる「合計特殊出生率」は2018年は1.42となっています。これを実際の子供の「出生数」でみると、何と91万8397人で過去最低を更新した。3年連続で100万人を割ると言う、正に“非常事態”なのです。 


今日は、この辺で失礼します。  

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