“お袋の味”について考える

今日は「“お袋の味”について考える」をお送りします。



私が小学校の頃(昭和40年代)と言えば、給食は決して美味しい食事とは言えませんでした。水分の抜けたコッペパンに脱脂粉乳が並ぶだけで、空腹なのに食欲が沸かないと言う不思議な日常だったと思います(給食のおばさんゴメンナサイ...)。さぞかし好き嫌いが激しい子供になってしまったのでは?とお感じになられるかも知れませんが、幸いにして今でも好き嫌いが一つもなく、全ての食材を美味しくいただけているのは、母親が料理上手だったからかも知れません。


中学の時にはまだ週6日制でしたので、週に一度午前中で授業が終わる土曜日だけは“お弁当の日”だったのです。毎週土曜日にお袋が早起きして作ってくれる“お弁当”が楽しみで仕方ありませんでした。今はもう他界して40年以上が経ちますが、当時の“お袋の味”は鮮明に記憶していて、ハンバーグや唐揚げや煮物、そして必ず入っていた、だし巻き卵などを自分でも再現してみたりしています。中々同じ味が出来ないのですがね...。


何気に“お袋の味”と言いましたが、確かに何を食べても特別に美味かったのは事実なのですが、本人が生きていたら多分「普通に作っただけよ」と言うに違いありません。当時は外食することも少なく、それこそ年に何度か家族での買い物でデパートへ行った際に最上階のレストランで食べる「オムライス」が楽しみだったのを思い出します。やはり中心は家庭料理で、煮物や天ぷらや揚げ物、それに月末の給料日が近付くとカレーライスの日もありました。子供ながらにお袋の作る食事を、特別に感謝することもなく、普通に当たり前の日常として食べていた気がします。


でも、今考えるとたまにですが、シャケのムニエルとかポークソテーとかロールキャベツとか、小洒落たメニューが並ぶ時がありました。その時は茶碗と箸ではなく、ナイフとフォークで食べさせられました。私は面倒で嫌だったのですが、今思えば社会に出て洋食マナーを普通に使いこなせたのは、当時のお袋の躾のお陰だと感謝しています。その当時は“一億総中流家庭”と言われましたが、たまに躾のために作ってくれた特別メニューは別にして、普段の朝昼晩の三食に関しては普通の家庭と全く同じだったと思います。


しかし、お袋の作ってくれた“お弁当”は毎週級友の注目の的でした。食べ盛りの中学生でしたので弁当箱も大きく、その蓋を開けると綺麗に彩りよく詰められたおかずが半分以上のスペースを占め、「美味そう!一口くれよ!」と周囲からねだられました。彩りや一品づつの味が美味かったのは言う迄もありませんでしたが、気が利いていたと言いますか、汁がご飯に染み出さない様に、或いはおかず同士が混ざって味が分からなくならない様に、器用にラップで仕切りを作ったり、サラダへかける特製ドレッシングは食べる直前にかける様に小さな別容器に入れてくれたり、とにかくどうすれば朝作ったものを時間が経っても美味しく安全に食べられるか、に細心の注意が払われていた気がします。


級友の注目を浴びた“お袋弁当”は私にとってはとても楽しみな週末土曜日のお昼時間だったのです。子供が残しがちなピーマンは肉詰めになっていたり、ニンジンは甘いグラッセになっていたり、野菜は少し甘めの醤油ベースドレッシングをかけると、美味しくて、残す理由など全くありませんでした。今でも記憶に残っているのは、“おふくろ弁当”をただの一度も残さずに平らげていたことです。


普通のメニューを普通に作っていた“お袋弁当”はお袋に言わせれば“普通”なのでしょうが、今思い返せば、一手間も二手間も丁寧に作られた“愛情弁当”だったのだと思うのです。“食育”と言う形で私を躾けてくれたことへの感謝の気持ちで一杯です。好き嫌いも無く、美味しいものを美味しく食べるために大切な、食事のマナーを身に付けて自然に使える様にして、更にそれらの食材そのものの命をいただくことや、生産者の気持ちまでも汲み取って感謝を忘れずに残さず食べることを教えてくれた母親の偉大さには、只々頭が下がります。“お袋弁当”無性に食べたくなってしまいました...。



今日も良い一日であります様に。


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